2019.03.12 / 中藤 貴雄 祈祷寺の未来
先日、3月6日に
岡山市中区門田文化町にあります
常住寺三千佛堂にて開眼法要が
執り行われました。
ネクサス通信Vol.54で地鎮祭の模様を
お伝えしていましたそのお堂です
まずは簡単にご説明を…エヘン
常住寺とは、
正式には「金剛山 常住寺 円務院」と言い、
かつて池田藩(岡山城)の祈祷所として
宝永4年(1707年)に城主池田綱政氏によって
石山(現在の丸の内)に創建されたました。
しかし明治維新を機に、明治5年(1872年)に上石井の長延寺と合併。
その後も数度かの合併を経て、1919年に現在の東山(門田文化町)に
移築されました
祈祷所としての役目を終えた常住寺。
本寺院の住職をされていました
葉上照澄大阿闍梨が平成元年に他界されたあと、
“檀家を持たないお寺”は
現在まであいだ、手を加えられること無く
ひっそりと佇んでいたのです。
そんな由緒あるお寺の再建と、
世界平和を願い宗教宗派を超えた協力体制を築くため
「世界宗教サミット」の開催に尽力されるなど、
葉上照澄大阿闍梨の多大な功績を伝承するため
2015年に発足した“常住寺復興プロジェクト”
その一つとして進められた
三千佛堂の建立。
勝田郡奈義町にあります
叩き彫り作家「昭雲工房」の山田尚公氏・直禾氏が
各所のご霊木を用いて製作する木端佛(こっぱぶつ)と、
それらを安置するため弊社が建築する三千佛堂。
『一体どんな場所になるのか…』
そんな沢山の方々の期待を一身に背負い
ドキドキの3月6日のお披露目となったわけです。
壁面3面に圧巻の神仏が並ぶ三千佛堂に、
初めて目の当たりにされた参列者や関係者の方々から聞こえてきたのは
『おぉ―――』
っという、ため息のような歓声
施主様で、常住寺 代表代務者であります永宗幸信住職(現 矢崎山圓福寺 本性院ご住職)
の『当たり前ではないお堂』というご要望を受けてのプロジェクト。
ご住職を始め、皆さんに驚きと感動をお届けすることが出来たようで
ホッと胸を撫で下ろしております
実はこの三千佛堂、
三千体もの神仏を安置するため必要な
大壁面を確保するため、
弊社が家づくりで標準採用している
耐震構法 SE構法を採用しています。
それにより、縦6m×横6m、軒高さ4.3mの
柱の無い大空間を実現しているのです。
安心安全な新しい技術と、
むくり屋根に銅版一文字葺きといった伝統的な技法の融合
将来、常住寺復興プロジェクトの本丸ともいえる
本堂の改修がなされた後も常住寺全体の景観を損なわない
デザインに仕上がりました
この場所が今後、葉上照澄大阿闍梨が生涯をかけて尽力し続けた
世界平和に寄与する“象徴の場”となってくれることを
切に願います